この記事は上でご紹介した選手のうち、ビリー・カニンガム~クライド・ドレクスラーまでの説明をしていきます。
この記事以外にも上の記事にてたくさん選手の説明をしていますので、そちらも合わせげご覧いただけたらと思います。
NBA史上最も偉大な75選手
ビリー・カニンガム
ビリー・カニンガムは、
- フィラデルフィア・76ers
- カロライナ・クーガーズ(現在はない)
で計11シーズンプレー。
身長が198cmあった彼を、76ersはガードとしての起用を検討していました。
ただシーズン前の試合でガードを任されたとき、リーグ屈指のディフェンダーだったK,Cジョーンズとのマッチアップを経験。
この試合カニンガムは完璧に抑えられ、
「ハーフコートラインまで1マイル半あるかのようだった」
と語るほど、大きく苦戦を強いられてしまった。
結果カニンガムにはガードの適正はないとされ、SFとして起用されることになります。
ただ、これが彼にはいい方向に働きます。
ルーキーシーズンで平均14,3点、7,5リバウンドを残し、オールルーキーチームに選出。
プレーオフではあまりいい成績を残せず、いい面も悪い面も経験したシーズンとなりました。
その後1968-69シーズン、76ersのエースだったウィルト・チェンバレンが移籍。
これがきっかけとなり、カニンガムの能力が覚醒します。
平均24,8点12,8リバウンドの活躍を見せ、オールスターに選出。
オールNBA1stチームにも選ばれました。
次のシーズンでもカニンガムは活躍。
平均26,1点13,6リバウンドを残しましたが、チームは徐々に衰退の一途をたどります。
1971-72シーズンにカニンガム自身は平均23,3点12,2リバウンドを残したが、チームは30勝52敗と負け越し、プレーオフにすら進めませんでした。
カニンガムはこのシーズンを最後に76ersから移籍。
カニンガムがいなくなった76ersは1972-73シーズンに9勝73敗という、NBA史上最悪なシーズンを送ってしまいました。
彼が76ersで付けていた背番号32は永久欠番となっています。
主な受賞歴
- 優勝:1回
- オールスター:4回
- オールNBAチーム:4回
- オールルーキーチーム(1966)
(※参照:ビリー・カニンガム - Wikipedia)
ステフィン・カリー(PG) ※現役
ステフィン・カリーは、ゴールデンステート・ウォリアーズで13シーズンプレーしている現役の選手です。
彼は歴代最高のシューターであり、歴代最高のPGの一人です。
通算3ポイント成功数では歴代1位の記録を保持しており、今現在もどんどん数字を伸ばしています。
カリーと、カリーの所属するウォリアーズは、それまでのNBAを大きく変えてしまいました。
彼は3ポイントを多用するプレースタイルです。
また、ウォリアーズにはクレイ・トンプソンというシューターもおり、カリーとトンプソンは「スプラッシュブラザーズ」という愛称で呼ばれています。
彼らは1試合で多くの3ポイントを多投。
多くのレジェンド選手は彼らを見て、
「ウォリアーズのバスケでは大成しない」
と見立てていました。
しかし、この見立てとは裏腹にウォリアーズは大成していきます。
2014-15シーズン、彼らは優勝を経験し、3ポイントメインの試合展開でもちゃんと勝てることを証明しました。
カリーはこのシーズン、273本の3ポイントを成功、彼自身が持っていたシーズン3ポイント成功数の記録を更新します。
そして2015-16シーズン。
このシーズンは、彼らのバスケこそが正しいということを証明するシーズンとなります。
ウォリアーズは開幕から勝ち続け、開幕24連勝を記録します。
ただこれはまだ序章にすぎませんでした。
ウォリアーズはその後も勝ち星を重ね、73勝9敗という圧倒的な記録でシーズンを終えます。
これはマイケル・ジョーダン率いるブルズが残した72勝10敗の記録を塗り替え、歴代最高の記録を樹立します。
このシーズンカリーはNBA史上初の満票でのMVPを獲得。
402本の3ポイントを決め、自信の記録を大きく更新しました。
プレーオフでは惜しくもファイナルで敗退してしまいますが、このウォリアーズの成功を機にNBAのスタイルは一変します。
ほとんどのチームが3ポイントを多投するようになり、3ポイントが打てない選手の肩身がどんどん狭くなっていきました。
試合に出る5人全員が3ポイントを撃てる選手で構成され、今現在も主流なプレースタイルとなっています。
NBAには、
「カリーさえいなければ」
という、いわばカリーの被害者ともいえる選手が多く存在します。
それほどまでに彼とウォリアーズはNBAを大きく変えてしまいました。
カリーは歴代最高のシューターであることに異論のある人はほとんどいないでしょう。
まだ議論の余地はありますが、今後歴代最高のPGになる日も近いかもしれません。
(ちなみに僕はカリーとウォリアーズのファンで、高校時代は30番をつけていました。)
主な受賞歴
- 優勝:3回
- MVP:2回
- オールスター:8回
- オールスターMVP:1回
- オールNBAチーム:7回
- オールルーキーチーム(2010)
- 得点王:2回
- スティール王:1回
- 50-40-90クラブ:1回
- 3ポイントコンテスト優勝:2回
(※参照:Stephen Curry Stats | Basketball-Reference.com)
アンソニー・デイビス(PF) ※現役
アンソニー・デイビスは、
- ニューオーリンズ・ペリカンズ
- ロサンゼルス・レイカーズ
にて計10シーズンプレーしている現役の選手です。
彼はルーキーシーズンから平均13,8点、8,2リバウンド、1,2スティール、1,8ブロックと、オフェンスもディフェンスもNBAで通用することを証明しました。
その後2年目のシーズンでは平均20,8点、10リバウンド、1,3スティール、2,8ブロックの活躍を見せ、早くもブロック王を獲得。
次のシーズンも平均2,9ブロックでブロック王を獲得。
オールNBA1stチームに選出され、スーパースターの仲間入りを果たします。
5年目の2016-17シーズン、オールスターゲームで52点を取りMVPを獲得。
シーズンでも平均28点、10,3リバウンド、2ブロックの成績を残し、ペリカンズの圧倒的なエースとしての地位を確立しました。
2017-18シーズンも平均28,1点、11,1リバウンド、2,6ブロックでブロック王に輝きます。
ドラフト後6年で3回ブロック王に輝くという怪物ぶりを見せつけました。
2018-19シーズン、優勝とは程遠い成績のペリカンズに嫌気がさしたADは、チームにトレードを要求します。
彼は優勝を強く望んでおり、優勝を狙えるチームへの移籍を要求しました。
結果このシーズン、レブロン・ジェームズ率いるロサンゼルス・レイカーズに移籍。
そして2019-20シーズンに見事優勝を果たしました。
2020-21シーズンは怪我に苦しみ、30試合を欠場。
現在の2021-22シーズンでも度重なる怪我に苦しんでいます。
彼はまだ29歳で、老け込むような歳ではありません。
怪我をなるべく早く治し、また圧倒的なパフォーマンスを見せてレブロンの負担を少しでも軽減してほしいと思います。
主な受賞歴
- 優勝:1回
- オールスター:8回
- オールスターMVP:1回
- オールNBAチーム:4回
- オールディフェンシブチーム:4回
- オールルーキーチーム(2013)
- ブロック王:3回
(※参照1:Anthony Davis Stats | Basketball-Reference.com)
(※参照2:アンソニー・デイビス - Wikipedia)
デイブ・デバッシャー(PF)
デイブ・デバッシャーは、
- デトロイト・ピストンズ
- ニューヨーク・ニックス
で計12シーズンプレー。
彼は歴代のNBA選手の中でもトップクラスの異色なキャリアの持ち主です。
というのも、彼はピストンズにドラフトされた1962年から2年間、メジャーリーグのホワイトソックスで投手としてもプレーしていました。
NBA選手兼メジャーリーガーという、明らかに異色な二刀流を彼はしていました。
彼はルーキーシーズン、NBAでは平均12,7点、8,7リバウンドを記録。
メジャーでは12試合に登板、18回を投げ防御率2,00という好成績を残します。
2年目も二刀流は続き、NBAでは足の骨折により15試合の出場にとどまりましたが、メジャーでは24試合に登板、3勝4敗、防御率3,09という成績でした。
その後、1964-1965シーズン、彼はピストンズで選手兼コーチに就任します。
彼自身は平均16,7点、11,1リバウンドを記録するも、チームは31勝49敗。
このシーズンを最後にメジャーとNBAの二刀流を辞め、NBA一本に絞ることになります。
このシーズンを含めて3年間彼は選手兼コーチをしていましたが、当時彼は24歳で、史上最年少のコーチでした。
毎シーズン彼は活躍するものの、チームは思うような成績を残せず。
1968-1969シーズンに彼はニューヨーク・ニックスにトレードされることになります。
ニックスではディフェンス面が特に評価を高めていきます。
平均16,3点、11,7リバウンドを上げ、このシーズンからできた「オールディフェンシブチーム」の初代1st1チームに選出。
ここから引退までの6年間、彼はずっと1stチームに選ばれ続けました。
彼は1973-1974シーズン、33歳の若さで引退を決意。
このシーズン彼は平均18,1得点、10,7リバウンドと一流選手として活躍したものの、シーズン終了後に現役を引退しました。
彼がニックスで付けた背番号22は、ニックスの永久欠番となっています。
主な受賞歴
- 優勝:2回
- オールスター:8回
- オールNBAチーム:1回
- オールディフェンシブチーム:6回
- オールルーキーチーム(1963)
(※参照:デイブ・ディバッシャー - Wikipedia)
クライド・ドレクスラー(SG)
クライド・ドレクスラーは、
- ポートランド・トレイルブレイザーズ
- ヒューストン・ロケッツ
で計15シーズンプレー。
彼は史上最高のSGの1人でありながら、ある1人の選手のせいで実際よりも低い評価を受けてしまう選手の一人です。
その一人の選手というのが「マイケル・ジョーダン」です。
ドレクスラーがプレーしていた1980-1990年代、同じSGのポジションにはジョーダンがいました。
どうしてもこの時代のSGはジョーダンのイメージが強く、ドレクスラーは実際よりかなり低い評価を受けてしまっています。
ドレクスラーはルーキーシーズン、あまりプレイ時間を貰えず、平均7,7得点にとどまります。
ただ2年目のシーズン、ブレイザーズが若返りを図ったことで一気にドレクスラーは頭角を現します。
彼は平均17,2点を挙げ、チームはプレイオフに進出しました。
プレイオフは残念ながら敗退してしまいますが、ここから10年、ドレクスラーは得点ランク上位に入る常連の選手となります。
1986-1987シーズン、当時ラリー・バードとマジック・ジョンソンしか達成していなかった
「シーズン平均21点以上、6リバウンド以上、6アシスト以上」
の記録を達成します。
1987-88、1988-89シーズンはともに平均27点以上を記録。
スコアラーとしての地位を確立しました。
1989-90シーズン~1991-1992シーズン、ドレクスラーは全盛期を迎えます。
ただ、ここで彼の前に立ちはだかったのが、当時「バットボーイズ」の愛称で知られたピストンズと、ジョーダン率いるブルズでした。
1989-90シーズン、ファイナルにまで勝ち進んだブレイザーズはピストンズと対戦。
結果的にピストンズに敗れ優勝を逃してしまいます。
その後1991-92シーズン、再度ファイナルに進出しましたが、ジョーダン率いるブルズに敗戦。
またもファイナルまで届きながら優勝を逃してしまいました。
1994-95シーズン途中、ドレクスラーはヒューストン・ロケッツへ移籍。
大学時代のチームメイトのアキーム・オラジュワンとともに悲願の優勝を達成します。
ここからドレクスラーは徐々に衰え始め、1997-98シーズンに引退を発表します。
彼は通算20000得点、6000リバウンド、6000アシストという、歴代でも4人しか達成していない記録を達成。
輝かしいキャリアに幕を閉じました。
彼がつけた背番号22は、ブレイザーズとロケッツで永久欠番となっています。
主な受賞歴
- 優勝:1回
- オールスター:10回
- オールNBAチーム:5回