この記事は上の記事で書いた全76選手のうち、エルビン・ヘイズ~サム・ジョーンズまでの5選手について説明していきます。
この記事はめちゃくちゃ長くなってしまったので、気になる選手のところのみでも見ていただけたらと思います。
ぜひこの記事も含め、上の記事に貼ってある記事も読んでいただけたら嬉しいです。
NBA史上最も偉大な75選手
エルビン・ヘイズ(PF)
エルビン・ヘイズは、
- サンディエゴ・ロケッツ(現ヒューストン)
- ボルティモア・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)
で計15シーズンプレー。
彼はドラフトされた1968-69シーズン、新人ながら得点王を獲得。(平均28,4点)
新人で得点王を獲得したことだけで相当珍しいですが、さらに彼はこの年新人王を獲得できなかったので、非常に珍しいルーキーシーズンでした。
(新人王は同じ年にドラフトされたウェス・アンセルド)
新人王を逃したもののNBAのキャリアをいい形でスタートしたヘイズは、2年目にはリバウンド王を獲得。(平均16,9本)
4年目のシーズンまでヘイズは平均25点を下回ることはなく、得点・リバウンドともにリーグトップクラスの成績を残していました。
その後1971-72シーズン終了後、ヘイズはブレッツへトレードされます。
ブレッツには前述したアンセルドに加え、1967-68シーズンに新人王を獲得したアール・モンローなど、若手でチームの核を形成していたチームでした。
そこにヘイズも加わり、1975年・1978年・1979年と3回ファイナルに選出。
1978年には優勝を果たしました。
彼がウィザーズで付けた背番号11は永久欠番となっています。
上の動画をご覧いただけたらわかる通り、彼はあまり派手なプレーはせず、堅実なプレースタイルの選手でした。
堅実に点を取り、堅実にリバウンドを取る。
ブロックの能力にもたけており、平均3ブロックを挙げたシーズンもあります。
得点、リバウンド、ブロックを堅実にするPF。
PFの選手であれば参考にしたい選手の一人だと思います。
主な受賞歴
- 優勝:1回
- オールスター:12回
- オールNBAチーム:6回
- オールディフェンシブチーム:2回
- オールルーキーチーム(1969)
- 得点王:1回
- リバウンド王:2回
(※参照:エルヴィン・ヘイズ - Wikipedia)
アレン・アイバーソン(SG)
アレン・アイバーソンは、
- フィラデルフィア・76ers
- デンバー・ナゲッツ
- デトロイト・ピストンズ
- メンフィス・グリズリーズ
で計14シーズンプレー。
彼はNBA史上最低身長の得点王とシーズンMVPの受賞者です。(身長183cm)
76ersからドラフトされた1996-97シーズン、平均23,5点(リーグ6位)、7,5アシスト(リーグ11位)、2,0スティール(リーグ7位)を記録し新人王を獲得。
新人ながらマイケル・ジョーダンに1対1を仕掛けたプレーは彼のベストプレーの一つです。
(下の動画の1:06~のシーン)
最初の二年はPGとして試合に出ていましたが、1998-99シーズンにはSGへコンバート。
これ以降彼の得点能力は明らかに向上していきます。
98-99シーズン、平均26,8点を挙げて得点王を獲得。
プレーオフにも初出場し、1試合で10スティールを決めるなどチームの原動力として活躍しました。
99-00シーズンには平均28,4点まで得点を伸ばし、初のオールスターとオールNBAに選出。
このシーズンのプレーオフ、ペイサーズに負けて悔し泣きするシーンはとても印象的でした。
00-01シーズン、彼はキャリアの中でも素晴らしいシーズンを送ります。
平均31,1点を記録し得点王を獲得。
これに加えスティール王、シーズンMVP、オールスターMVPを獲得しました。
プレーオフでは、マッチアップのティロン・ルーを振り切ってシュートを決め、その後彼をまたいでいくシーンがとても有名となっています。
(最初の動画の1:02~のシーン)
04-05シーズン、彼は再度PGへコンバート。
アシストを平均7,9本まで伸ばし、4度目の得点王も獲得。
05-06シーズンには平均33点まで得点を伸ばすものの、チーム成績は振るわず。
2006年の末に、再建を考えていた76ersはアイバーソンをナゲッツへトレードしました。
ナゲッツではカーメロ・アンソニーという若手エースとデュオを結成。
07-08シーズンにはSGにコンバートされ平均26,4でチームハイの成績を残しました。
08-09シーズン、アイバーソンはナゲッツとの契約延長を望んでいましたが、ナゲッツはシーズン開幕直後に彼をピストンズにトレード。
08-09シーズンは怪我で34試合にしか出場できず。
シーズン終了後にグリズリーズへ移籍しました。
グリズリーズでは「個人的な理由」で3試合にしか出場せず。
2009年の11月末に引退を発表しました。
ただそのわずか1週間後、古巣の76ersに復帰することになります。
76ersではなかなか出場機会もなく、シーズン終了後はトルコのチームに移籍。
その後2013年に正式に引退を発表しました。
彼が76ersで付けた背番号3は永久欠番になっています。
彼のプレースタイルの特徴は何といってもクロスオーバーなどのドリブル能力と、圧倒的な得点能力です。
小さいながらも果敢にゴールを目指す姿勢は、学生時代とても参考にしていました。
彼のベストプレーと言われるプレーの多くは、クロスオーバーからの得点のシーンになっています。
また彼は「the answer」という呼び方もされています。
めちゃくちゃかっこいいですよね。
主な受賞歴
- シーズンMVP:1回
- オールスター:11回
- オールスターMVP:2回
- オールNBAチーム:7回
- 新人王(1997)
- オールルーキーチーム(1997)
- 得点王:4回
- スティール王:3回
(※参照:アレン・アイバーソン - Wikipedia)
レブロン・ジェームズ(SF) ※現役
レブロン・ジェームズは、
- クリーブランド・キャバリアーズ
- マイアミ・ヒート
- ロサンゼルス・レイカーズ
にて計19年プレーしている現役の選手です。
彼はNBA史上最高の選手の1人であり、マイケル・ジョーダンとどちらが歴代最高の選手かという議論がたびたびされています。
「King」という愛称で知られています。
彼は2011-18シーズン、史上6人目の8シーズン連続ファイナル進出を達成し、異なる3チームでファイナルMVPを受賞した唯一の選手です。
また、通算30000得点・10000リバウンド・10000アシストを達成した唯一の選手でもあります。
彼は2003年ドラフト1位選手として1年目から活躍を見せ、新人王を獲得。
ただオールスターには選出されず、彼のキャリアで唯一オールスターに選ばれなかったシーズンとなっています。
その後2年目も順調にレブロンは成長を見せましたが、チームはプレーオフには進出できず。
そして迎えた3年目、彼には結果が求められていました。
このシーズン彼は平均31.4得点、7,0リバウンド、6,6アシストという成績を残しプレーオフにチームを導きます。
キャブすにはスター選手がレブロン以外にいなかったことから、レブロンがチームをプレーオフに導いたのは相当な快挙だと個人的に思っています。
プレーオフではカンファレンスセミファイナルで敗れてしまいますが、レブロンは着実にスーパースターの階段を駆け上がっていきました。
06-07シーズン、シーズン成績は50勝32敗と前年と変わらなかったものの、プレーオフではファイナルに進出。
ファイナルではマッチアップのブルース・ボウエンのディフェンスに苦しみ、スパーズに0勝4敗でスウィープ負けを喫してしまいました。
07-08シーズン、30得点・7,9リバウンド・7,2アシストというMVP級の活躍を見せたものの、チームは45勝37敗と成績を落としてしまいます。
ただ次のシーズン、オールスターガードのモー・ウィリアムズを獲得したことでチームは一気に成績を伸ばし、66勝16敗という成績を残します。
レブロンは平均28,4点、7,6リバウンド、7,2アシストの成績で見事MVPを獲得。
その翌シーズンにもMVPを獲得し、キャブスの時代が来るかに思われました。
ただ、09-10シーズン終了後FAとなったレブロンは、マイアミ・ヒートへと移籍を決めてしまいます。
当時ヒートにはレブロンと同期のドウェイン・ウェイドというスターがいました。
そこにレブロンと、彼らと同期でラプターズのエースだったクリス・ボッシュが加わり、スーパースターのビッグ3が結成されました。
この決断にはスポーツアナリストや経営者、現役の選手やOB、ファンなどから痛烈な批判を浴びせられてしまいました。
迎えた10-11シーズンは優勝を逃し、大きなバッシングを浴びてしまいます。
ただ11-12シーズン、彼らは圧倒的な強さで見事リーグ優勝。
その勢いのままプレーオフも勝ち進み、見事優勝を果たしました。
この年シーズンMVPを受賞していたレブロンは、ファイナルMVPも獲得。
名実ともに「king」となったシーズンでした。
その後14-15シーズンの前に古巣のキャブスに復帰。
15-16シーズンにはキャブスを優勝に導き、3度目のファイナルMVPを受賞。
得点、リバウンド、アシスト、スティール、ブロックのすべてにおいて両チームトップの成績を残し、史上初の快挙を達成しました。
18-19シーズン前にはレイカーズに加入。
このシーズンにはプレーオフを逃してしまいますが、19-20シーズンにはアンソニーデイビスの加入により成績を伸ばし見事優勝。
レブロンは4度目のファイナルMVPを受賞しました。
1人の選手が異なる3チームでファイナルMVPを受賞するのは史上初の快挙でした。
レブロンは歴代最高のオールラウンダーです。
オフェンスもディフェンスもリーグトップクラスの選手で、37歳となった今も衰えを見せない活躍をしています。
21-22シーズン、レブロンは37歳ながら得点王争いを繰り広げています。
最近は3ポイントの精度も上がり、弱点が見つからない選手になりました。
チームはプレーオフはほぼ難しい状況ですが、レブロンが得点王を取れるのかには注目していきたいと思います。
ジョーダンとレブロンのどちらが史上最高の選手なのか。
はたまたほかの選手が史上最高なのか。
この議論には正解がないと思います。
僕としてはまだジョーダンかなという印象ですが、今後引退までにどこまで成績を残すか次第ではレブロンが史上最高の選手になる日も近いかもしれません。
主な受賞歴
- 優勝:4回
- ファイナルMVP:4回
- シーズンMVP:4回
- オールスター:18回
- オールスターMVP:3回
- オールNBAチーム:17回
- オールディフェンシブチーム:6回
- 新人王(2004)
- オールルーキーチーム(2004)
- 得点王:1回
- アシスト王:1回
(※参照:レブロン・ジェームズ - Wikipedia)
マジック・ジョンソン(PG)
マジック・ジョンソンは、ロサンゼルス・レイカーズで計12シーズンプレー。
(1979-91、1996)
彼は史上最高のPGであり、NBA史上最高の選手の一人です。
ESPNが発表した「史上最高のNBA選手74人のランキング」でも5位に入るほどの実力者です。
(※参照:Ranking the top 74 NBA players of all time - Nos. 10-1)
「ノールックパス」を世に広めた選手で、1980年代のNBAブームをラリー・バードとと
もに牽引したスーパースターです。
マジックはルーキーシーズンから頭角を現します。
レイカーズには当時カリーム・アブドゥル=ジャバーがいて、彼に加え多くの名選手を抱えていました。
そんな中マジックはルーキーながら先発PGとして出場、平均18,0得点・7,7リバウンド・7,3アシストという好成績を残しました。
またルーキーながらオールスターにも出場。
新人王は同期のラリー・バードに取られてしまいますが、それでもマジックはプレーオフで大活躍をします。
特にファイナルでは当時のエースのジャバーが負傷。
レイカーズはPGのマジックをセンターで起用するという奇策を第6戦では用いました。
結果彼は42点、15リバウンド、7アシストと大爆発。
チームを見事優勝に導き、史上唯一ルーキーでファイナルMVPを受賞しました。
3年目のシーズン、再度ファイナルに進出しMVPを獲得することになるものの、マジックにとっては少し辛いシーズンとなります。
当時の監督のポール・ウェストヘッドと意見の食い違いが発生。
- 今まで通りアップテンポの攻撃を展開したいマジック
- ハーフコートオフェンスに力を入れじっくりオフェンスさせたい監督
この二人の食い違いは大きく、マジックはシーズン序盤にトレードを要求。
その翌日監督が解雇されることで問題は解決しました。
その後当時のアシスタントヘッドコーチだったパット・ライリーが後任の監督に就任。
ライリーのもと再度アップテンポオフェンスを展開し見事優勝を果たしますが、マジックはキャリアで唯一オールスターを逃したシーズンとなりました。
翌82-83シーズンにはジェームズ・ウォージーをドラフトで獲得。
83-84シーズンにはレイカーズは「ショータイム・レイカーズ」と呼ばれるようになります。
(マジックからウォージーに派手なパスがつながり、ウォージーがダンクするという派手なオフェンスを得意としていたため)
マジックは46試合連続で2桁アシストを記録し、ファイナルではラリー・バード率いるセルティックスと対戦。
マジックとバードは大学時代からのライバル関係で、このファイナルは全国的に大きな注目を集めました。
結果的にレイカーズは第7戦でセルティックスに敗退、優勝を逃してしまいました。
翌84-85シーズンにもファイナルでレイカーズはセルティックスと対戦。
1戦目に大敗を喫してしまいますが、2,3,5戦目に勝利。
レイカーズは第6戦にも勝利をおさめ、見事リベンジを達成しました。
レイカーズは史上初めてセルティックスに勝っての優勝を達成、セルティックスは史上初めてホームで優勝を逃したシリーズでした。
ただ翌85-86シーズン、レイカーズは優勝どころかファイナルにすら進出できませんでした。
カンファレンスファイナルの対ロケッツ戦、「ショータイムレイカーズ」は完全に研究・予測され、うまく機能せず。
1勝4敗の大番狂わせをされシーズンを終了してしまいました。
その後迎えた86-87シーズン、マジックはチームリーダーの役割を担うようになり、「ベビーフック」を習得します。
フックシュートを得意としていたジャバーから学び、自分の形に落とし込んだシュートでした。
ファイナルでまたもやセルティックスと対戦。
また第6戦で見事優勝、マジックはファイナルMVPに輝き、レイカーズは1980年代だけで4回目の優勝を果たしました。
87-88シーズンも優勝、88-89、89-90シーズンは優勝こそできなかったものの2年連続でマジックはシーズンMVPを受賞。
マジックはベテランの域に差し掛かっていたものの、全盛期真っただ中の活躍を見せていました。
その後の90-91シーズンではマジックはデビュー以来9度目のファイナルに進出するも、ジョーダン率いるブルズに敗退。
リーグトップの座がマジックからジョーダンに移った瞬間でした。
翌91-92シーズン開幕直後、マジックは生命保険の健康診断でHIVへの感染が発覚。
医者の勧めもあり引退を決断しました。
ただこのシーズンマジックは1試合も出ていなかったのにもかかわらず、オールスター投票で最多得票を獲得し、オールスターに出場します。
健康状態には問題の無かったマジックは、その後1992年のバルセロナ五輪にて「ドリームチーム」の一員として金メダル獲得に貢献しました。
ただ、「マジックと接触するとHIVに感染するのではないか」という意見もあったことでNBAには復帰できず。
(当時はHIVへの大衆の理解が薄く、選手たちもほぼ無知な状態でした)
その後HIVへの理解が高まったことで1995-96シーズン途中にレイカーズに復帰。
5年のブランクやジェネレーションギャップ、自分との意識の差などもあり、プレーオフ敗退後に正式に引退を発表しました。
マジックがレイカーズで付けた背番号33は後に永久欠番になりました。
僕は学生時代PGで身長も高かったこともあり、マジックのプレーをまねしようと何度もマジックの動画を見ていました。
結果僕はパスよりも点を取る方が性に合っていたので断念しましたが、長身でPGをしている人にとってはぜひ参考にしたい選手だと思います。
ノールックパスも決まれば非常にかっこいいので、バスケをしている人はぜひ真似してみてほしいなと思います。
主な受賞歴
- 優勝:5回
- ファイナルMVP:3回
- シーズンMVP:3回
- オールスター:12回
- オールスターMVP:2回
- オールNBAチーム:10回
- オールルーキーチーム(1980)
- アシスト王:4回
- スティール王:2回
(※参照1:マジック・ジョンソン - Wikipedia)
(※参照2:Magic Johnson Stats | Basketball-Reference.com)
サム・ジョーンズ(SG)
サム・ジョーンズは、ボストン・セルティックスで12シーズンプレー。
セルティックスに在籍した12シーズンで実に10度も優勝を果たしています。
1958-59シーズンから1965-66シーズンまでは8連覇を達成しており、10度の優勝はNBA史上2番目に多い記録となっています。
彼はルーキー時代の1957年から1961年までは、ボブ・クージーやビル・シャーマンと言った名選手の控えとして活躍。
平均得点も10点前後の選手でした。
ただシャーマンが引退する1961年ごろにはジョーンズはチームの中心選手に成長。
1961-62シーズンには平均18,4得点、5,9リバウンドにまで成績を伸ばしました。
その後順調に成長を遂げ、1964-65シーズンには平均25,9得点を挙げ、チームのエースとして活躍。
1966-67シーズンには優勝を逃してしまうものの、1967-68、1968-69シーズンに再度連覇を達成。
1968-69シーズンのファイナル第4戦では、逆転のブザービーターを沈め勝利に貢献。
優勝という有終の美をもって、シーズン終了後に引退しました。
彼がセルティックスで付けた背番号24は永久欠番になっています。
主な受賞歴
- 優勝:10回
- オールスター:5回
- オールNBAチーム:3回
(※参照:サム・ジョーンズ (バスケットボール) - Wikipedia)