この記事は上の記事にて挙げた全76選手のうち、ケビン・ガーネット~ジョン・ハブリチェックまでの5選手の説明をしていきます。
上の記事ではそれ以外の選手の説明記事も貼ってありますので、そちらも合わせてご覧いただけたらと思います。
NBA史上最も偉大な75選手
ケビン・ガーネット(PF)
ケビン・ガーネットは
- ミネソタ・ティンバーウルブズ
- ボストン・セルティックス
- ブルックリン・ネッツ
で計21シーズンプレー。
彼は従来のPFとは違い、フットワークやクイックネスに長けた選手でした。
特に彼の特筆すべき点はディフェンス能力です。
彼はPG-Cまですべてのポジションの選手を守ることができました。
それほどの俊敏性とフィジカルを併せ持つ選手でした。
ただ、彼には「利己的」という部分が欠けていました。
もちろん非利己的なことは素晴らしいことだと思います。
でもNBA選手、その中でもエースを任せられるような選手には利己的な考えは重要です。
どんな状況でも果敢にゴールを狙い得点を取りに行く。
エースである以上これは必然と求められます。
ただ彼にはその考えはありませんでした。
そのため、ウルブズ時代のヘッドコーチであるドウェイン・ケイシーは、
「ガーネットがもう少し積極的だったら…。」
とエースになり切れなかったガーネットを嘆いていました。
ガーネットは闘志をむき出しにして戦う選手でした。
相手には積極的にトラッシュトークを仕掛け、味方には頼りになるリーダーとしてふるまう。
そんな闘志をむき出しにしながら、非常に効率よく安定したオフェンスと、大黒柱として一瞬も手を抜くことの無いディフェンスで相手を苦しめる。
対戦相手としては非常に厄介な選手であったことが容易に想像できます。
2007年にはボストン・セルティックスに移籍し、レイ・アレン、ポール・ピアースとともにビッグ3を形成します。
迎えた2007-2008シーズン。
ビッグ3体制初めてのシーズンながら66勝16敗の成績でイースト1位に。
その後順調にプレーオフを勝ち進み、ファイナルではレイカーズを倒して優勝。
前年イースト最下位に沈んだチームを3人はここまで押し上げました。
その後ネッツに移籍する2013年までガーネットはチームの大黒柱として活躍。
2013年にネッツに移籍し、2015年には古巣のウルブズに復帰。
2016年に引退を表明しました。
2022年の3月14日にボストンで彼がつけた背番号5の永久欠番セレモニーが行われました。
マイアミへの移籍を機に不仲となってしまったレイ・アレンと握手を交わし和解するシーンは、多くのNBAファンに感動をもたらしました。
主な受賞歴
- 優勝:1回
- シーズンMVP:1回
- オールスター:15回
- オールスターMVP:1回
- オールNBAチーム:8回
- 最優秀守備選手賞:1回
- オールディフェンシブチーム:12回
- リバウンド王:4回
- オールルーキーチーム(1996)
(※参照:ケビン・ガーネット - Wikipedia)
ジョージ・ガービン(SG)
ジョージ・ガービンは、
- バージニア・スクワイアーズ(ABA、今はない)
- サンアントニオ・スパーズ(1976年までABA、その後はNBA)
- シカゴ・ブルズ
にて計13シーズンプレー。
引退後はイタリアやスペインのリーグでプレーしていました。
彼の大きな武器は「フィンガーロール」という技です。
フィンガーロールは指先で回転をかけながら打つシュートで、通常のシュートの縦回転とは違い、横回転させるように放つシュートです。
ガービンはこのフィンガーロールを武器に得点を量産しました。
バージニア・スクワイアーズではあまり出場時間はありませんでしたが、スパーズ移籍後は大きな成長を遂げます。
スパーズに所属していた12シーズンのうち、実に11シーズンでシーズン平均20点以上を記録。
1977-78(27,2点)、1978-79(29,6点)、1979-80(33,1点)、1981-82(32,3点)でそれぞれ得点王を獲得。
NBA史上4回以上得点王を獲得したのはガービンを含めて5人しかいません。
(ガービン、ウィルト・チェンバレン、マイケル・ジョーダン、アレン・アイバーソン、ケビン・デュラント)
1978年4月9日のジャズ戦では、1クォーターだけで33点稼ぎNBAの記録を作りました。
この時代まだ3ポイントは導入されていなかったので、ガービンがどれほど驚異的だったかがうかがえます。
この記録は2015年にクレイ・トンプソンが1クォーター37点の記録で塗り替えられますが、トンプソンは3ポイントを多く決めての37点でした。
そのため、ガービンの凄さがより際立った印象です。
彼は先ほど紹介したケビン・ガーネットとは真逆で、投資を内に秘めてプレーする選手で、「アイスマン」というニックネームがつけられていました。
多くのサンアントニオファンに今でも愛され、ガービンもまたサンアントニオを愛しています。
引退後はサンアントニオに家を建て、「ジョージ・ガービン・ユースセンター」を設立。
若者を多くの危険や誘惑から救おうという活動を続けています。
彼がつけた背番号44はスパーズの永久欠番となっています。
ちなみに、僕はこの選手に憧れを抱いたことがありましたが、指先があまり柔らかくなく、フィンガーロールをうまく決められなかったので諦めました(笑)
主な受賞歴
- オールスター:9回
- オールスターMVP:1回
- オールNBAチーム:7回
- 得点王:4回
(※参照:ジョージ・ガービン - Wikipedia)
ハル・グリア(SG)
ハル・グリアは、シラキューズ・ナショナルズ(現フィラデルフィア・76ers)にて15シーズンプレー。
グリアは身長が188㎝と小柄ではあったものの、高い成功率を誇ったアウトサイドシュートを武器に活躍。
ゴール下で圧倒的な存在感を示したウィルト・チェンバレンとともに、1967年に優勝を果たしました。
グリアはキャリア3年目の1960-61シーズンに才能が開花します。
平均19,6点、5,8リバウンド、3,8アシストの成績を残すものの、チームは38勝41敗の成績に終わります。
プレーオフには進出できたものの、優勝には至りませんでした。
チェンバレンを獲得した1965-66シーズンにチームは大きな成長を遂げます。
その年55勝25敗の成績で地区優勝を果たします。
その次の1966-67シーズンにチームは最盛期を迎えます。
68勝13敗の成績で地区優勝。
その勢いのままプレーオフに進出し、見事ファイナルを制し優勝。
グリアはこの年平均22,1点の活躍でチームに大きく貢献しました。
1967-68シーズンにはオールスターMVPを受賞。
シーズンでも大活躍を見せ、平均24,1点のキャリアハイの成績を残します。
その後3年連続プレーオフには進出するものの、優勝には至らず。
グリアの衰えとともにチームは衰退の一途をたどりました。
グリアは1972-73シーズンに引退を決意しますが、このシーズンの76ersはNBA史上最悪なシーズンを送ります。
このシーズンの前に、チームのエースだったビリー・カニンガムが他チームへ移籍。
エースを失ったチームは急激に成績を落とし、9勝73敗という成績を記録してしまいます。
グリア自身もこのシーズンは38試合に出場し、平均5,6点という成績でした。
グリアが76ers一筋15年で稼いだ21586点という数字は、76ersの通算得点のフランチャイズ記録です。
彼がつけた背番号15は76ersの永久欠番となっています。
主な受賞歴
- 優勝:1回
- オールスター:10回
- オールスターMVP:1回
- オールNBAチーム:7回
(※参照:ハル・グリア - Wikipedia)
ジェームズ・ハーデン(SG) ※現役
ジェームズ・ハーデンは、
- オクラホマシティ・サンダー
- ヒューストン・ロケッツ
- ブルックリン・ネッツ
- フィラデルフィア・76ers
で計13シーズンプレーする現役の選手です。
ハーデンは歴代でもトップクラスの得点能力を誇り、NBA史上最高のSGの一人です。
ハーデンがドラフトされた2009年は、サンダーとしては初めてのドラフトでした。
というのも、サンダーは2008年のドラフト後にシアトルから拠点をオクラホマへ移転、チーム名をサンダーに変更しました。
ハーデンは2009年のドラフト3位でサンダーに入団し、サンダー史上初のドラフト指名者になりました。
迎えた2009-10シーズンはドラフト3位選手としては物足りない、平均9,9点の成績に終わりました。
次の2010-11シーズン、ベンチ出場ではあったものの平均12,2点まで成績を伸ばし、シックスマン賞の候補に入りました。
そして2011-12シーズン、平均16,8点の成績を残しシックスマン賞を獲得。
ここからハーデンの才能は一気に開花していき、スーパースターへの階段を上り始めました。
2012-13シーズン、サンダーとの契約がまとまらなかったハーデンはロケッツへ移籍。
このシーズンハーデンはロケッツでスタメン出場するようになり、平均25,9点にまで成績を伸ばしました。
2016-17シーズンにはマイク・ダントー二がヘッドコーチに就任し、ハーデンはさらに成長を遂げます。
ハーデンはPGの役割を担うようになり、プレーメークのスキルが向上します。
2016年12月31日に行われたニックス戦では、53点16リバウンド17アシストを記録。
1試合で50点、15リバウンド、15アシストを記録したリーグ史上初めての選手になりました。
(※参照:
ジェームズ・ハーデンがNBA史上初の快挙となる50得点、15アシスト、15リバウンド超えを達成 | スポーティングニュース・ジャパン
)
2018年1月30日のマジック戦では60点11アシスト10リバウンドを記録。
60点以上を取りながらのトリプルダブルは史上初の快挙でした。
2018-19シーズンはとにかく快挙の連続でした。
- 30分以内に40点以上のトリプルダブル達成は史上初
- 1試合5本以上の3ポイント成功を12試合連続で達成
- 32試合連続30点以上を記録(史上2番目の長さ)
- 5回目の50点以上でのトリプルダブル達成
- キャリア通算2000本以上の3ポイント成功(史上9人目)
- 1シーズンで2700点500アシストを記録(史上3人目)
- 過去30年で1シーズン56試合以上で30点以上を記録(史上初)
- 1シーズンで2700点500アシスト500リバウンドを記録(史上2人目)
- 1シーズン平均30点7アシスト5リバウンド2スティールを記録(史上2人目)
これらの快挙をすべてこのシーズンで達成。
まさに快挙尽くしのシーズンでした。
その後チームに不満を持ち2021年にブルックリンへ移籍。
デビュー戦でいきなり32点12リバウンド14アシストを記録し、移籍先のチームで30点以上でのトリプルダブルを記録した唯一の選手になりました。
2021-22シーズン途中に今度はネッツへ不満を持ち、トレードで76ersへ移籍しました。
デビュー戦でまた大活躍を見せ、76ersを優勝に導けるのか大注目されています。
ハーデンの武器は何といっても「ステップバック」です。
たまにトラベリングでは?という時もありますが、彼の技術はなかなかまねできるようなものではなく、自身の大きな武器としています。
ファールを貰う技術も素晴らしいですが、わざと やりすぎる(フロッピング)ことがありリーグから何度か罰金を科せられています。
主な受賞歴
- シーズンMVP:1回
- オールスター:10回
- オールNBAチーム:7回
- 得点王:3回
- アシスト王:1回
- シックスマン賞:1回
- オールルーキーチーム(2010)
(※参照:ジェームズ・ハーデン - Wikipedia)
ジョン・ハブリチェック(SF)
ジョン・ハブリチェックは、ボストン・セルティックスで16シーズンプレー。
1962-63シーズンに彼はセルティックスに入団するのですが、当時のセルティックスはチーム最盛期を迎えていました。
この年まで4年連続でNBA優勝を達成しており、ビル・ラッセル、ビル・シャーマン、ボブ・クージーらの名選手が在籍していました。
ハブリチェックは新人ながら14,3点6,7リバウンドの成績を残しチームに貢献。
このシーズンもセルティックスは優勝し、5連覇を達成しました。
次のシーズンからも数シーズンはハブリチェックはベンチ出場でチームに貢献していました。
平均20点前後の得点、6本前後のリバウンドを毎年残し、チームに大きく貢献していました。
オフェンス面のみならずディフェンス面も非常に優秀で、圧倒的なスタミナの持ち主でもありました。
セルティックスは1965-66シーズンまで、実に8連覇を達成。
ハブリチェックは入団4年で4度優勝という功績を残していました。
その後ハブリチェックは1969-70シーズン以降先発選手として活躍。
1969-70シーズンには得点、アシスト、リバウンドでチームトップの成績を残しました。
セルティックスは1973-74シーズンに5年ぶりに優勝。
この時点でハブリチェックは7度目の優勝を果たしていました。
1975-76シーズン、チームはデイブ・コーウェンスなどの新しい世代が大きく活躍し、優勝に輝きました。
ハブリチェックにとっては8度目の優勝経験となりました。
2年後の1977-78シーズン、チームは32勝50敗と負け越しプレーオフ進出を逃しました。
これを機にハブリチェックは引退を決意。
26395点という通算得点はセルティックスのフランチャイズ記録となっています。
また彼がつけた背番号17はセルティックスの永久欠番となっています。
主な受賞歴
- 優勝:8回
- ファイナルMVP:1回
- オールスター:13回
- オールNBAチーム:11回
- オールディフェンシブチーム:8回
- オールルーキーチーム(1963)
(※参照:ジョン・ハブリチェック - Wikipedia)