この記事は上で紹介した全76選手のうち、マイケル・ジョーダンからジェリー・ルーカスまでの5選手を紹介していきます。
この記事はとても長くなっているので、ぜひ飛ばし飛ばしにでもお読みいただけたらと思います。
また、誤字脱字や読みにくい部分などございましたら是非教えてください。
この記事を含め、上の記事に選手紹介の記事を多く更新していますので、そちらも合わせてお読みいただけたら幸いです。
NBA史上最も偉大な75選手
マイケル・ジョーダン(SG)
マイケル・ジョーダンは、
- シカゴ・ブルズ(1984-93、95-98)
- ワシントン・ウィザーズ(2001-03)
で計15シーズンプレー。
言わずと知れたNBA史上最高の選手であり、バスケットボールの神様とまで評されています。
NBAに在籍した15シーズンで得点王10回・最多得点11回・平均30,12点は歴代1位、通算32292点は歴代5位という数々の記録を打ち立てました。
アメリカのフォーブスという雑誌の「スポーツ選手長者番付」では1位を6度受賞。
「アメリカで最も裕福なセレブリティ」では4位で、世界で最も裕福な元スポーツ選手となっています。
(※参照1:Michael Jordan Stats | Basketball-Reference.com)
ジョーダンはルーキーシーズンから大活躍。
平均28,2得点を挙げ新人王を獲得します。
2年目には怪我で成績を落としてしまいますが、3年目には平均37,1を挙げ得点王を獲得。
ただ当時のブルズは決して強いチームではなく、この3シーズンはいずれもプレーオフで初戦敗退を喫しています。
ルーキー時代からオールスターに選ばれたジョーダンでしたが、オールスターでは「フリーズ・アウト」という仕打ちを受けます。
フリーズ・アウトとは、味方選手から全くパスを回してもらえないという現象で、ジョーダンはこれに深く傷ついたといいます。
ジョーダンにとっても、またブルズにとっても転機となったのは1987年のドラフトでした。
ブルズはスコッティ・ピッペン、ホーレス・グラントをドラフトで獲得。
彼らとともに91-93シーズンに3連覇を達成することになります。
87-88シーズンはジョーダン独りよがりのプレーが多く、ジョーダン自身は平均35,0点を挙げ得点王に輝くもプレーオフではピストンズに敗戦。
当時のピストンズは、その荒々しいディフェンスから「バッドボーイズ」と呼ばれ、彼らはジョーダンを苦しめました。
88-89シーズンもジョーダン自身は得点王に輝くもののプレーオフでは再度ピストンズに敗戦。
ジョーダンとブルズにとってピストンズは大きな壁となって立ちはだかっていました。
迎えた89-90シーズン、フィル・ジャクソンが監督に就任。
「トライアングルオフェンス」を展開し、ブルズはシーズン成績を55勝にまで伸ばしました。
プレーオフでは再三ピストンズに敗戦してしまうものの、ピッペンとグラントの成長やトライアングルオフェンスなど、ブルズにとって欠かせないシーズンとなりました。
そして90-91シーズン、ジョーダン自身は平均31,5点と成績を落としてしまうものの(結局ジョーダンは得点王には輝いた)、チームは61勝21敗という好成績を残します。
プレーオフでは宿敵のピストンズをスウィープ(4勝0敗)、ファイナルではレイカーズを4勝1敗で退けて見事優勝。
ジョーダンはファイナルMVPを初受賞します。
ここから91-92シーズンはブレイザーズを、92-93シーズンはサンズを退けて3連覇を達成。
ジョーダンは3年連続ファイナルMVPを受賞しました。
3連覇は60年代のセルティックス以来の快挙で、ジョーダンは全盛期真っただ中。
誰しもがブルズの王朝時代の到来を確信していました。
ただこのシーズン終了後、突如としてジョーダンが引退を発表します。
シーズンオフに不慮の事故で父親を亡くしており、その衝撃からなのではないか?
以前からバッシングに悩んでいたこともあり、そのストレスからではないか?
3連覇を達成したことでモチベーションが低下したことが原因ではないか?
など様々な憶測がされることになりました。
結局引退したジョーダンは野球選手への転向を発表。
「最初の優勝の時に父親と約束した夢だったんだ」
とジョーダンは語ったといいます。
ここから2年野球選手として活動したジョーダンは94-95シーズン途中にブルズに復帰。
残り17試合の時点で復帰したものの、ジョーダンは多少なりともブランクを感じさせるプレーを連発してしまいました。
そして迎えた95-96シーズン。
ブルズにデニス・ロッドマンが加入し、ジョーダン・ピッペン・ロッドマンで最強の3人組を結成。
長身シューターのトニー・クーコッチや、ディフェンダーのロン・ハーパーなどの名選手をそろえたブルズは72勝10敗というNBA記録を樹立。
2015-16シーズンにウォリアーズに塗り替えられるまで、この記録は前人未到の記録となっていました。
プレーオフでもブルズは勢いそのままに勝ち進め見事優勝。
ジョーダンは4度目の優勝と4度目のファイナルMVPを受賞しました。
その後、96-97シーズン・97-98シーズンはともにユタ・ジャズをファイナルで下し優勝。
ジョーダンにとって2度目の3連覇、および3年連続ファイナルMVPを受賞しました。
そしてこのシーズン終了後、2度目の引退を発表しました。
その後ウィザーズのバスケットボール運営部門の社長となっていたジョーダンは、2001-02シーズンに現役復帰。
さすがに38歳だったこともあり衰えてはいたものの、平均22,9点を記録。
翌02-03シーズンも平均20,0点を記録。
ラストゲームとなった76ers戦では40歳ながら40点を挙げる活躍を見せました。
ジョーダンの特徴は長い滞空時間から繰り出されるシュートと勝負強さが代表的です。
「AIR JORDAN」と言われるほどの長い滞空時間から繰り出されるダンクはとても魅力的です。
またクラッチタイムに非常に強く、ブザービーターを決めるシーンはたびたびいろいろなところで目にします。
ただ、僕はジョーダンを語るうえで「ディフェンス能力」は欠かせないと思います。
彼のディフェンスもオフェンス同様に脅威で、MVPと最優秀守備選手賞(DPOY)を同時受賞。
NBAのロゴになるほどのレジェンドのジェリー・ウエストは、
「ジョーダンのディフェンス能力はオフェンス以上に脅威だった」
と語っています。
キャリアを通して新人王・DPOY・シーズンMVP・ファイナルMVP・オールスターMVPをすべて獲得したのは、NBA史上ジョーダンのみの快挙です。
また同じシーズンに得点王・DPOY・MVPを受賞したのもジョーダンのみ。
まさに神様と呼ばれるべき選手でした。
ジョーダンが所属したブルズのみならず、1度も所属したことの無いマイアミ・ヒートでも背番号23は永久欠番となっています。
これも過去に類を見ないことですし、今後も彼のような存在は現れないと思います。
有名なプレーはあまりにも多すぎるので、ぜひ上の動画のみならずたくさんの動画を見ていただけたらなと思います。
主な受賞歴
- 優勝:6回
- ファイナルMVP:6回
- シーズンMVP:5回
- オールスター:14回
- オールスターMVP:3回
- オールNBAチーム:11回
- DPOY:1回
- オールディフェンシブチーム:9回
- 新人王(1985)
- オールルーキーチーム(1985)
- スティール王:3回
- 得点王:10回
- スラムダンクコンテスト優勝:2回
(※参照:マイケル・ジョーダン - Wikipedia)
ジェイソン・キッド(PG)
ジェイソン・キッドは、
- ダラス・マーベリックス
- フェニックス・サンズ
- ニュージャージー・ネッツ(現ブルックリン)
- ニューヨーク・ニックス
で計20シーズンプレー。
キッドはルーキーシーズンからマブスをけん引します。
平均11,7点、5,4リバウンド、7,7アシスト、1,9スティールの成績を残し新人王を獲得。
ジャマール・マッシュバーン、ジミー・ジャクソンとともに形成した3J’sは、前年11勝71敗だったマブスを36勝46敗の成績にまで押し上げました。
翌95-96シーズン、マブスのプレーオフ進出は確実視されていました。
ただマブスはこのシーズン、あまりにも災難が続くシーズンを送ることになってしまいます。
まず開幕前に選手の一人が薬物問題でNBAから永久追放の処分。
センターのドナルド・ホッジがマリファナ所持で警察に逮捕。
シーズン途中には3J'sの一人のマッシュバーンが怪我で全休に。
シーズン中盤の試合でジャクソンとスコット・ブルックスがチームメイト同士で殴り合い。
これらがすべてこのシーズンに起こってしまいました。
そんな中キッドは孤軍奮闘し、平均16,6点、6,8リバウンド、9,7アシスト、2,2スティールの成績を残します。
ただ不祥事が続いたチームは結局26勝56敗と前年から成績を落としてしまいました。
次の96-97シーズン、3J'sは崩壊を迎えます。
前年のチームメイト同士の殴り合いから、キッドはジャクソンに対して不信感を募らせるようになります。
前年の中盤以降はジャクソンとキッドは一切口を利かないほどに関係は悪化していました。
また監督との関係も非常に悪くなっており、キッドとジャクソン、キッドと監督の間の溝は相当深くなってしまっていました。
この溝はもう埋まらないと判断したマブスは、開幕1か月後にキッドをサンズへトレード。
キッド派だったマッシュバーンもヒートへトレードされ、3J'sは崩壊してしまいました。
キッドはサンズに移籍後、10,9得点、4,5リバウンド、9,0アシスト、2,3スティールと全体的にスタッツを落としました。
ただケビン・ジョンソンとのバックコートデュオは強力で、2人の平均アシスト数はともにリーグトップ5入り。
これからに注目されるシーズンとなりました。
翌97-98シーズン、キッドを中心に早いテンポの攻撃を展開したサンズは、56勝26敗という好成績を残します。
キッドは11,6点、6,2リバウンド、9,1アシスト、2,0スティールの成績を残し、中でもアシストはリーグ2位の成績でした。
98-99シーズンのNBAはロックアウトの影響で50試合のみに。
キッドは16,9点、6,8リバウンド、10,8アシスト、2,3スティールでアシスト王を獲得。
初のオールNBA1stチーム、オールディフェンシブ1stチームに選ばれ、リーグトップのポイントガードに上り詰めました。
99-00シーズンもアシスト王、オールNBA1stチーム、オールディフェンシブ1stチームに輝きますが、3月にひざを故障。
プレーオフで復帰したものの、シャックとコービーを擁するレイカーズに敗退しました。
00-01シーズン、キッドにとってはまたも災難なシーズンになってしまいます。
アンファニー・ハーダウェイの女性問題訴訟。
クリフォード・ロビンソンが飲酒運転で逮捕。
キッド自身も妻へのDVで逮捕。
キッドを含め、サンズは不祥事が続き災難なシーズンでした。
キッドはこのシーズン、平均16,9点、6,4リバウンド、9,8アシスト、2,2スティールで3年連続アシスト王、オールNBA1stチーム、オールディフェンシブ1stチームに選出。
ただ色々な騒動により損なわれたイメージの回復を図ろうとしたサンズは、DV問題を起こしたキッドをシーズン終了後にネッツへトレードしました。
ネッツは前年26勝56敗と低迷しており、典型的なドアマットチームでした。
そんな中キッドはネッツをアップテンポなオフェンスと盤石なディフェンスで牽引。
チームは52勝30敗でカンファレンス首位になるまで成績を伸ばしました。
キッドは14,7点、7,3リバウンド、9,9アシスト、2,2スティールという成績を残しますが、MVP投票とアシスト数ではともにリーグ2位に。
プレーオフでもネッツの勢いは止まらず、ついにファイナルにまで進出します。
結果的にレイカーズに敗退し優勝とは成りませんでしたが、チームは「ミラクル・ネッツ」と呼ばれファンを大いに驚かせました。
翌02-03シーズンも勢いは止まりません。
ネッツは49勝33敗でカンファレンス2位。
キッドはチームハイの平均18,9点、6,3リバウンド、8,9アシスト、2,2スティールを記録し、4度目のアシスト王を獲得。
周囲の雑音とは裏腹にネッツはプレーオフでも勝ち続け、2年連続でファイナルに進出します。
2勝4敗でスパーズに敗退しますが、ネッツの実力が本物であるということを完全に証明したシーズンとなりました。
04-05シーズン途中にはビンス・カーターがネッツに加入。
最初はあまり機能しませんでしたが、結果的に42勝40敗でプレーオフへ。
ただ結局プレーオフでは初戦敗退を喫してしまいました。
07-08シーズン、キッド自身は好調なシーズンを送っていましたがチーム成績は低迷。
キッドは次第にトレードを要求するようになり、ネッツはオールスター明けにマブスにキッドをトレード。
キッドは古巣に復帰することになりました。
当時のマブスは強豪チームではあったものの優勝にはあと一歩届かない。
そんなチームでした。
そこにラストピースとして加わったキッド。
これでマブスは優勝に一歩前進したかに思われました。
ただ、マブスは当時ハーフコートでのセットオフェンスを多用するチームだったので、キッドはあまり機能せず。
マブスはむしろ低迷してしまい、このシーズンはプレーオフ初戦で敗退。
翌シーズンも苦しみ、プレーオフでデンバー・ナゲッツに完敗。
キッド自身もこのシーズンは平均9,0点、6,2リバウンド、8,7アシスト、2,2スティールで、得点はデビュー以来最低の数字となってしまいました。
10-11シーズン、ようやくキッドにとってもマブスにとってもいいシーズンを送れることになります。
チームは57勝25敗という好成績を残し、カンファレンス3位でプレーオフに進出。
そのまま勝ち進み、ファイナルではレブロン・ウェイド・ボッシュのBIG3がそろうマイアミ・ヒートと対戦。
エースのダーク・ノビツキーの活躍もあり、彼らを下して見事優勝。
キッドにとって初めてのチャンピオンリングを手にしました。
その後ニックスと契約したキッドは2012-13シーズンで引退。
今はマーベリックスのヘッドコーチとしてチームに貢献しています。
キッドがネッツで付けた背番号5は永久欠番になっています。
キッドは「ミスター・トリプルダブル」と言われる選手でした。
多くの試合でトリプルダブルを獲得しチームを引っ張る。
ただキッドは、
「個人の成績にはこだわらない。チームの勝利が全て」
と言い切るほど、チームプレーに徹した選手でした。
そんな信念もあってか、キッドは得点が2桁行かずにトリプルダブルを逃す試合も多く、トリプルダブルを量産する選手にしては珍しいタイプの選手でした。
僕は彼のフリースローのルーティンがすごく好きです。
上の動画の1:30辺りからご覧いただけたらと思います。
ゴールに向かって投げキッスをしてからシュートをする彼のルーティンは特徴的で、僕は彼のこのルーティンがすごく好きでした。
なかなか普通の選手がこのルーティンをするのは勇気がいりますが、そんな勇気のある方がいましたら是非試合でやってみてください。(笑)
主な受賞歴
- 優勝:1回
- オールスター:10回
- オールNBAチーム:6回
- オールディフェンシブチーム:9回
- 新人王(1995)
- オールルーキーチーム(1995)
- アシスト王:5回
- スキルズチャレンジ優勝:1回
- NBAスポーツマンシップ賞:2回
(※参照:ジェイソン・キッド - Wikipedia)
カワイ・レナード(SF) ※現役
カワイ・レナードは、
- サンアントニオ・スパーズ
- トロント・ラプターズ
- ロサンゼルス・クリッパーズ
に所属し、現在はクリッパーズでキャリア11シーズン目を送っている現役のNBA選手です。
彼は当初、ディフェンスで名をあげた選手でした。
というのも彼は最初の3シーズン、平均得点が10点前後の選手で、オフェンスはさほど脅威というほどではありませんでした。
ただ彼のディフェンス能力はずば抜けて高く、長い手足から繰り出されるスティールやブロック、シュートチェックはどれをとっても脅威そのものでした。
特に2010年代前半から中ごろにかけて、NBAの流れは「打倒レブロン」でした。
そんな中キャリア2年目の2012-13シーズン、レナードの所属するスパーズはNBAファイナルでレブロン・ウェイド・ボッシュがそろうマイアミ・ヒートと対戦。
ここではまだレブロンを止められず、3勝4敗で敗退してしまいます。
翌13-14シーズン、スパーズは再度ヒートとファイナルで激突。
このシリーズでレナードはレブロンを大いに苦しめ、4勝1敗でスパーズの優勝に大きく貢献しました。
レナードのチームへの貢献度は素晴らしく、レブロンを止めたことも評価され見事22歳の若さでファイナルMVPを受賞。
22歳の若さでNBAファイナル受賞というのは、マジック・ジョンソンの20歳278日・22歳298日に次ぐ3番目に若い記録でした。
またレナードは当時オールスター出場経験がなく、オールスター未経験の選手がファイナルMVPに輝くのは史上6人目の快挙でした。
その後ディフェンス能力はそのまま、オフェンス能力にも磨きがかかっていきます。
14-15シーズン、平均16,5点、7,2リバウンド、2,5アシスト、2,3スティールという成績を残しスティール王を獲得。
スパーズでは92年のデイビット・ロビンソン以来の最優秀守備選手賞を受賞。
オールディフェンシブ1stチームにも選出されました。
オフェンス能力が完全に開花したのは2016-17シーズンのことでした。
前のシーズン終了後、ティム・ダンカンが引退しレナードはスパーズの新たな顔となっていました。
開幕戦から2試合連続30点5スティール以上の成績を残し、2戦連続30点5スティールという成績は2002年のエディ・ジョーンズ以来の記録でした。
また依然彼のディフェンスは脅威で、「カワイソレーション」という造語が生まれるほどでした。
この造語は「カワイ」と「アイソレーション」を組み合わせたものです。
通常のアイソレーションではチームのトップスコアラーが攻撃しやすいように、他の選手が逆サイドに固まることでスペースを生み出します。
そのスペースを使いスコアラーが1対1を仕掛け点につなげる。
これがアイソレーションの基本的な仕組みです。
ただレナードの場合、一人でスコアラーを止めれてしまうのでアイソレーションがうまくいきません。
それならレナードがマークするスコアラーにはあえてオフェンスに参加させず、逆サイドでオフェンスを展開しようというのが「カワイソレーション」。
結果的にレナードがコートにいる時のほうが、コートにいない時よりもチームのディフェンス力が下がるという数字まで出ることになります。
(※参照:カワイ・レナードがフロアにいるとスパーズの失点が増えるのはなぜ? - TunaDrama)
それでもスパーズは61勝21敗、レナードは平均25,5点、5,8リバウンド、3,5アシスト、1,8スティールの成績を残しました。
プレーオフでは対ウォーリアーズ戦でザザ・パチュリアの足に着地し足首を負傷。
故意的にザザがレナードの着地地点に足を入れたように見えたこのプレーには多くの批判の声が上がりました。
結果プレーオフで復帰することはできず、ウォーリアーズにスウィープ(4勝0敗)されてしまいます。
レナードは17-18シーズン終了後、スパーズにトレードを要求。
怪我のリハビリ方法を巡ってチームとの関係が悪化したためだと報じられました。
(※参照:Reports: Kawhi Leonard demands trade from San Antonio Spurs | NBA.com)
結果的にレナードはラプターズへトレードされることになりました。
そして迎えた18-19シーズン、レナードは30点40点取る試合が増え、平均得点も26,6点にまで伸ばします。
その勢いはプレーオフでも続きます。
特にカンファレンスセミファイナルの対76ers第7戦のブザービーターは多くのNBAファンの心に強く残っていることでしょう。
普段感情を表に出さないレナードが感情を爆発させていたこのシーンはとても印象的でした。
ラプターズはその勢いのままカンファレンスファイナルとファイナルを制し見事優勝。
ラプターズは史上初の優勝、レナードは2度目のファイナルMVPを受賞しました。
これによってレナードは、カリーム・アブドゥル=ジャバー、レブロン・ジェームズに続いて3人目となる、異なる2チームでファイナルMVPを受賞した選手に。
プレーオフの合計点は732点で、これはジョーダン(759点,1992)、レブロン(748点,2018)に次ぐ3番目の記録でした。
18-19シーズン終了後FAとなったレナードはクリッパーズへ移籍。
12月13日のウルブズ戦ではレナードが42点、チームメイトのポール・ジョージが46点を記録。
クリッパーズの選手2人が同じ試合で40点以上を記録するのはクリッパーズ史上初めてのことでした。
オールスターにも出場したレナードはオールスターMVPを初受賞。
シーズン平均得点も27,7点とキャリア最高の数字でした。
ただこのシーズンはコロナにより3月に一時中断。
7月にウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートで選手と関係者のみを隔離した状態(バブル)で再開。
レナードは再開後調子が良かったものの、プレーオフで調子を落としカンファレンスセミファイナルで敗退。
レナードにとっては課題も残る苦しいシーズンとなってしまいました。
20-21シーズン、攻守ともに活躍したレナードは52試合の出場ながらオールディフェンシブチームとオールNBAチームに選出。
平均24,8点、6,5リバウンド、5,2アシストの成績を残しました。
プレーオフでもレナードはチームを引っ張り、1回戦のマブス戦の第6戦では45点を挙げる活躍を見せシリーズの突破に貢献しました。
カンファレンスセミファイナルでも活躍を見せていましたが、第4戦に負傷離脱。
結局これ以降の試合は全休し、シーズン終了後に右ひざ前十字靭帯損傷の手術を受けることになりました。
21-22シーズン現在まだ復帰ができていません。
最近は持ち前のディフェンスに加えオフェンスでもチームトップの成績を残すようになったレナード。
3ポイントも高確率で入るようになり、FGの成功率も高いです。
また出場時の得失点差がわかる「+/-」(プラスマイナス)でもレナードは非常に高い数字を出し、レナードがどれだけチームに貢献しているかがよくわかります。
今後怪我から復帰するレナードが引退までにどういう成績を残すのか。
レブロン以来となる、異なる3チームでのファイナルMVP受賞はなるか。
僕の好きな選手でもあるので、今後さらに注目していきたいと思います。
今はできるだけ早く、完全な状態での復帰を心待ちにしています。
主な受賞歴
- 優勝:2回
- ファイナルMVP:2回
- オールスター:5回
- オールスターMVP:1回
- 最優秀守備選手賞:2回
- オールディフェンシブチーム:7回
- オールルーキーチーム(2012)
- スティール王:1回
(※参照:カワイ・レナード - Wikipedia)
デイミアン・リラード(PG) ※現役
デイミアン・リラードは、ポートランド・トレイルブレイザーズで10シーズン目を迎えた現役のNBA選手です。
リラードの特徴は、クラッチタイムの強さと驚異のロングレンジシュートです。
特にクラッチタイムは異常に強く、勝負所で次々にシュートを決めることから「デイムタイム」と言われるほどです。
(リラードはクラッチタイムに点を取ると時計のセレブレーションをするのが特徴的)
また、3ポイントラインからはるかに遠い位置からでも3ポイントを決めることができる選手です。
味方を活かすタイプではなく、自らガンガン得点を量産していくタイプのポイントガードの選手です。
リラードはルーキーシーズンの12-13シーズンから活躍を見せます。
デビュー戦でいきなり23点11アシストを記録。
その勢いのままリラードは全82試合に先発出場を果たし、平均38,6分の出場で19,0点、6,5アシストの成績を残します。
そしてNBA史上4例目となる満票での新人王を獲得しました。
13-14シーズンにはコービー・ブライアントの推薦でオールスターに出場。
2年目のリラードは、ライジングスターズ、オールスターゲーム、ダンクコンテスト、3ポイントコンテスト、スキルズチャレンジに出場。
主要イベントでシューティングスターズ以外のすべてに出場したのはリラードが初めてのことでした。
またこのシーズン、チームは54勝28敗という成績を残し、リラードにとって初めてのプレーオフ進出を果たします。
プレーオフでは4位のロケッツと対戦。
当時ロケッツにはジェームズ・ハーデンとドワイト・ハワードという2枚看板がいました。
そんなロケッツをブレイザーズは第6戦で下します。
第6戦はリラードの逆転ブザービーター3ポイントシュートで勝負が決着し、ホームの観客の盛り上がりは最高潮に達していました。
セミファイナルではスパーズに層の厚さを感じさせられ、1勝4敗で敗退しました。
14-15シーズンにもリラードはオールスターに出場。
レギュラーシーズンでは新人から3年連続150本以上の3ポイント成功というNBAの新記録を樹立、
3シーズンすべてで全82試合に先発出場し、平均20得点前後を3年連続記録しました。
ただこのシーズン終了後、ブレイザーズは大幅なチーム改革に出ます。
このシーズンのスタメン選手5人のうち、リラードを除く4選手を放出。
リラードを中心に新たなチームを作ることが決まった瞬間でした。
迎えた15-16シーズン、リラードの得点力が向上します。
シーズン平均25,1点まで成績を残し、中には1試合で51点を挙げた試合もありました。
プレーオフでは1回戦でクリス・ポール率いるクリッパーズに勝利。
ウォーリアーズに1勝4敗で敗れてしまいますが、このシーズンのウォーリアーズは73勝9敗というシーズン記録を作ったチームでした。
そのウォーリアーズにシーズン・プレーオフともに1勝以上上げたのはブレイザーズのみのことでした。
ただこの年には、ここから数年の間相棒としてチームを引っ張るC.J.マッカラムの成長もあり、収穫の多いシーズンとなりました。
16-17シーズン、リラードは59点を挙げる試合もあり、得点力はさらに向上していきました。
平均27,0点、4,9リバウンド、5,9アシストという成績を残しプレーオフにチームを導きます。
プレーオフではウォーリアーズにスウィープされ、あっけなくシーズンを終了することになってしまいました。
17-18シーズンには3シーズンぶりにオールスターに選出されます。
またこの年にはデビューから6年で通算10000点、2500アシストを記録した史上8人目の選手になりました。
プレーオフではリラード自身が大きく苦しめられ1回戦敗退。
リラードは4試合のうち1試合でしか20点以上上げれず、苦しいシリーズでした。
19-20シーズンにはキャリアハイの62点を挙げるほど絶好調なシーズンになります。
1月20日から2月1日までの間、平均48,8点という化け物じみた成績を残します。
また1月29日にはトリプルダブルを達成。
これらのことが認められ、この週の週間MVPを受賞しました。
またこのシーズン、60点以上を3度達成。
1シーズンで60点以上を3試合以上で達成するのは、ウィルト・チェンバレン以来2人目の快挙でした。
シーズン平均30,0点、4,3リバウンド、8,0アシスト、FG成功率46,3%、3ポイント成功率40,1%という記録をリラードは残すもののチーム成績は下降。
7シーズンぶりに勝率5割を下回りますが、何とかウエスト8位でプレーオフに進出。
ただレイカーズに1勝4敗で敗退しシーズンを終えました。
20-21シーズンには、2月のペリカンズ戦で43点16アシストをマーク。
40点15アシスト以上を記録した史上12人目の選手になりました。
まだまだ衰える歳ではないリラードですが、最近は怪我が少し目立つようになっています。
今シーズンもケガでシーズンを終えており、苦しいシーズンとなってしまいました。
また相棒のマッカラムも移籍し、ブレイザーズは久しぶりにプレーオフ進出を逃しました。
怪我から復帰したリラードが今後どういう成績を残していくのか。
トレードされるのでは?といううわさが飛び交っていますが、実際トレードはあるのか。
この辺りに注目しながら、彼の今後に期待していきたいと思います。
主な受賞歴
- オールスター:6回
- オールNBAチーム:6回
- 新人王(2013)
- オールルーキーチーム(2013)
- スキルズチャレンジ優勝:2回
(※参照:デイミアン・リラード - Wikipedia)
ジェリー・ルーカス(PF,C)
ジェリー・ルーカスは、
- シンシナティ・ロイヤルズ(現サクラメント・キングス)
- サンフランシスコ・ウォーリアーズ(現ゴールデンステイト)
- ニューヨーク・ニックス
で計11シーズンプレー。
ルーカスはゴール下を支配し、ロイヤルズではセンターとして起用されていました。
特にリバウンド力に優れており、キャリア11シーズンで合計12942本、1試合平均15,6リバウンドという歴代4位の記録を持っています。
彼がドラフトされた1963年のロイヤルズには、オスカー・ロバートソンというスターがいました。
そこにルーカスも加わり、ロイヤルズは1967年まで毎年プレーオフに出場します。
ファイナルまでは届かなかったものの、2人の活躍もありプレーオフ常連チームとなりました。
ルーカスはルーキーシーズン、平均17,7点、17,4リバウンドを記録し新人王を獲得。
ルーキー時代からゴール下の支配力を見せつけるシーズンとなりました。
65-66シーズンには平均21,5点、21,1リバウンドの成績を残します。
ただこの時代にはチェンバレンという化け物じみた選手がおり、彼が得点王とリバウンド王を独占。
このシーズンのチェンバレンは平均24,6リバウンドでリバウンド王に輝いており、21,1リバウンドを挙げてもなおリバウンド王に輝けない苦しい時代でした。
その後ルーカスは毎年平均20点前後の得点に20本近いリバウンドを残すものの、スタッツリーダーにはなれず。
69-70シーズンにはウォーリアーズへトレードされました。
ウォーリアーズでは約2シーズンプレーしますが、ここでも彼のゴール下の支配力は健在でした。
リバウンド数は少し減ってしまいますが、それでも平均19点、15リバウンドの成績を残します。
そして70-71シーズンにルーカスはニックスへとトレードされました。
ニックスでは徐々に衰えが見え始め、72-73シーズンには平均9,9点、7,2リバウンドにまで数字を落とします。
ただこの年のニックスにはウィリス・リード、デイブ・ディバッシャー、アール・モンローなどがおり、57勝25敗という成績でプレーオフに進出。
そのままファイナルにまで進出し、ファイナルではレイカーズを破り優勝。
ルーカスにとって初めての優勝を果たしました。
衰えが顕著に見えていたルーカスは73-74シーズン終了後に引退。
キャリア平均17,0点、15,6リバウンドという輝かしいキャリアに幕を閉じました。
主な受賞歴
- 優勝:1回
- オールスター:7回
- オールスターMVP:1回
- オールNBAチーム:5回
- 新人王(1964)
- オールルーキーチーム(1964)
(※参照:ジェリー・ルーカス - Wikipedia)