今回は上に記事にて記した76選手のうち、ポール・アリジン~デイブ・ビングまでの説明をしていきます。
ぜひ上の記事や、上の記事のそれぞれの選手の説明記事も合わせてご覧いただけたらと思います。
NBA史上最も偉大な75人
ポール・アリジン(SF)
ポール・アリジンは、
- フィラデルフィア・ウォリアーズ(現ゴールデンステート)
- キャムデン・ブレッツ(現在は存在しない)
の2チームで、計15シーズンプレー。
彼の1番の功績は、「ジャンプシュートの発見」です。
今では、NBA選手のみならず、全バスケットボールプレイヤーが打つジャンプシュート。
小学生でも普通に打つようなこのシュートは、彼が発見したものです。
彼はたまにダンスホールでバスケをする機会がありました。
ただ、ダンスホールは非常に滑りやすく、とても危険な状態でした。
この時点でのバスケットボールは、ジャンプをせずにシュートを打つのが主流でした。
ただ、ジャンプをしないと足を滑らす危険性が高かったので、彼はジャンプしながらシュートを打つようにしていたそうです。
これが「ジャンプシュート」の誕生です。
その後彼はNBA(当時はEBA)からドラフトされ、NBAで初めてジャンプシュートという概念が生まれることになります。
彼のシュートをまねする人が増え、結果的にジャンプシュートは主流になっていきました。
この人がジャンプシュートを始めていなかったら、今のバスケはどうなっていたんだろうなあと感じています。
彼の発見はその後のバスケの歴史の中でもトップクラスの発見だったと思います。
彼はもうお亡くなりになってしまっていますが、今のNBAにとっても非常に重要な選手でした。
主な受賞歴
- 優勝:1回
- オールスター:10回
- オールスターMVP:1回
- オールNBAチーム:4回
- 得点王:2回
チャールズ・バークレー(PF)
チャールズ・バークレーは、
- フィラデルフィア・76ers
- フェニックス・サンズ
- ヒューストン・ロケッツ
で、計16シーズンプレー。
彼は、NBA史上7人しかいない
「通算20000得点、10000リバウンド、4000アシスト」
を達成した選手です。
※参照:
Players Who Had 20000 Points 10000 Rebounds And 4000 Assists | StatMuse
この成績だけ見ても、NBA史上最高のPFの1人だと言っても過言ではありません。
1992年のバルセロナ五輪では、マイケルジョーダンなどと「ドリームチーム」を結成し、見事金メダルに輝きました。
彼はPFとしては身長が低く、195cm前後しかありませんでした。
ただ、体重が110kg以上あり、フィジカルの強さは異常でした。
また、この体系ながら彼はスピードとジャンプ力がすごく、運動能力の高さは抜群でした。
彼にはあまり欠点がなく、シュート・パス・ドリブル・ディフェンス・リバウンドなど、すべてにおいて高いレベルを持つ選手でした。
ただ、少しやりすぎなハッスルプレイやラフプレーも多く、トラブルは少し多い選手でした。
トラッシュトークも得意で、すごく頭の良かった選手とも言えます。
彼は現在NBAの解説者としてアメリカの番組で活躍しています。
毒舌さは相変わらずですが、的確なコメントも多く、とても人気を博しています。
彼が76ersで付けた背番号34は76ersの永久欠番となっています。
主な受賞歴
- MVP:1回(1993年)
- オールスター:11回(1987-1997)
- オールスターMVP:1回(1991)
- オールNBAチーム:11回(1986-1996)
- オールルーキーファーストチーム(1985年)
- リバウンド王:1回(1987)
リック・バリー(SF)
リック・バリーは、
- サンフランシスコ・ウォリアーズ(現ゴールデンステート)
- オークランド・オークス/ワシントン・キャップス(ABA、現在はない)
- ニューヨーク・ネッツ(現ブルックリン)
- ヒューストン・ロケッツ
で計15シーズンプレー。
彼は大学バスケ(NCAA)、ABA(のちにNBAと合併)、NBAのすべてで得点王を獲得した唯一の選手です。
シーズン2年目に彼は平均35,6得点をあげ得点王を獲得しました。
シーズンで平均35点以上あげた選手は、歴代でも5人しかいません。
(バリー、ウィルト・チェンバレン、マイケル・ジョーダン、コービー・ブライアント、ジェームズ・ハーデン)
彼がドラフトされることになるウォリアーズですが、彼がドラフトされる前のシーズン、ウォリアーズは暗黒期に入りかけていました。
1964-1965シーズン、ウォリアーズは当時のエースのウィルト・チェンバレンを放出し、チームの再建期に入りました。
結果そのシーズンは17勝63敗と、悲惨なシーズンを送りました。
※参照:ゴールデンステート・ウォリアーズ - Wikipedia
そして1965-1966シーズン、ウォリアーズはリック・バリーを指名します。
ルーキーシーズンから彼は大活躍し、2年目にはチームをNBAファイナルにまで導きました。
結果的に優勝はできませんでしたが、彼はファイナル平均40点以上上げ、エースとして文句ない活躍を見せました。
彼の1番有名なプレーは「フリースロー」です。
彼はフリースローを下から放ちます。
上の動画にもある通り、すごく特徴的なシュートフォームでした。
そのフリースローを彼は高確率で沈め、成功率は何度もリーグ1位を記録。
また、NBAでの通算成功率でも約9割を記録しています。
※参照:Rick Barry Stats | Basketball-Reference.com
彼がつけていた背番号24は、ウォリアーズの永久欠番となっています。
主な受賞歴
- 優勝:1回
- ファイナルMVP:1回
- オールスター:8回(ABA含むと12回)
- オールスターMVP:1回
- オールNBAチーム:6回
- 新人王:1回
- オールルーキーチーム:1回
- 得点王:1回
- スティール王:1回
エルジン・ベイラー(SF)
エルジン・ベイラーは、ロサンゼルス・レイカーズで13シーズンプレー。
彼は史上最も偉大なSFの一人に挙げられる選手です。
NBAのロゴにもなっているジェリー・ウエストなどは、彼こそが最高の選手だと話します。
ただ、彼には目に見えてわかりやすい突出した数字はありません。
1試合に100点を取ったわけではなく、優勝も0回。
MVPを獲得したこともなく、得点王などの個人賞を受賞したこともありません。
それでも彼と同じ時代にプレーした選手は、彼こそ史上最高のSFだと最大の称賛をしています。
「エルジンベイラーが、後のコニー・ホーキンズやジュリアス・アービング、マイケル・ジョーダンのプレーの道を開いた」
とまで称しています。
この中で一番わかりやすい選手はマイケル・ジョーダンでしょう。
彼は派手なダンクやクラッチタイムの強さなどから、圧倒的な力で世代を支配、「バスケットボールの神様」とまで言われている人です。
ただ、エルジン・ベイラーよりも前の世代では、圧倒的な力を持つセンター以外のポジションの人がダンクをすることはほとんどありませんでした。
そんな中彼はSFながらダンクを連発。
彼の登場により、NBAのすべてを変えたと言っても過言ではないのかもしれません。
エルジン・ベイラーがいかに素晴らしかったかがうかがえますね。
また、彼はSFながら1960-1961シーズンには平均19.8リバウンドを記録。
これは現代のセンターの選手よりもリバウンドの数が多いです。
※参照:Elgin Baylor Stats | Basketball-Reference.com
彼がつけていた背番号22は、レイカーズの永久欠番となっています。
主な受賞歴
- オールスター:11回
- オールスターMVP:1回
- オールNBAチーム:10回
- 新人王:1回
デイブ・ビング(PG)
デイブ・ビングは、
- デトロイト・ピストンズ
- ワシントン・ブレッツ(現ウィザーズ)
- ボストン・セルティックス
で、計12シーズンプレー。
彼はルーキーシーズン、ピストンズでチームのトップスコアラーとして活躍。
平均20点、シーズン通算1601点を挙げ、ルーキーで1シーズンで1600点以上を取った史上6人目の選手となりました。(1966-1967シーズン終了時点)
その年に新人王に輝いた彼は、2年目にも成長を遂げます。
平均27,1点シーズン通算2142点を取り、得点王を獲得。
ガードの選手が得点王になるのはこの時代は非常に珍しく、1946-1947シーズンのマックス・ザスロフスキー以来の快挙でした。
彼のNBAキャリアは取り立てて派手なものではありませんでした。
1度得点王を取ったとはいえ、NBAの通算スタッツ(レギュラーシーズンのみ)は
- 得点:20,3
- リバウンド:3,8
- アシスト:6,0
というものでした。
※参照:Dave Bing Stats | Basketball-Reference.com
昔のスポーツ紙には「Mr,Unsung-About(目立たない人)」と評されたこともあります。
ただ、彼はスコアラーとしてのみならず、プレーメーカーとしても優秀でした。
彼が活躍していた当時は今とは違い、PGとSGの役割が明らかに分かれていました。
(PGはプレーメーカー、SGはスコアラー)
そんな中彼は得点王を取りながら、5シーズンでリーグトップ5のアシスト数を記録していました。
彼がつけていた背番号21は、ピストンズの永久欠番となっています。
引退後は事業家として成功。
2009年にはデトロイト市長に就任しました。
その後2013年の年末まで任期を全うしました。
主な受賞歴
- オールスター:7回
- オールスターMVP:1回
- オールNBAチーム:3回
- 新人王(1967)
- オールルーキーチーム(1967)
- 得点王:1回